「日本テレビは 前科1犯 だった」

 

11月11日の参院財政金融委員会で行われた、読売新聞側が「税務当局にも00年3月から04年3月期までの実態を報告して了解を得ていた」という説明について、国税庁の村上善堂次長は「我々は(配当に課税するために)株式を(実質的に)誰が保有しているか分かればよく、報告書の記載には関与しない」と述べ、報告書を了承する立場にないことを説明した。(11月12日、朝日新聞)

 

読売新聞社によると、日テレの第二位株主、渡辺恒雄・読売新聞グループ本社会長の名義株の保有者が同グループ本社であることは金融当局(財務局)に報告していたという。説明どおりなら、金融庁は株主偽装の事実を知りながら是正を求めなかったことになる。(11月14日、日本経済新聞:社説)

 

朝日はともかく日経新聞社は東京証券取引所という公営賭博の予想屋みたいなものです。いかさまレースが頻繁に行われたら、ファンの失望や怒りはレースへの幻滅を招き、予想紙の売上を直撃しかねません。同日の社説に当局の姿勢を激しく糾弾するものがあって当然でしょう。

 

借名仮名口座はマネーロンダリングの温床ともいえる天下の大罪です。財務省が証券会社に立ち入り検査を行うとき、もっとも厳しく締め上げる重点検査項目のはずです。

国税庁 ⇒ 「我々は株式を誰が保有しているか分かればよく、報告書の記載には関与しない」

金融庁 ⇒ 「株主偽装の事実を知りながら是正を求めなかった」

 

戦後50年経って今さらそれはないでしょう。今回の日本テレビ虚偽報告書事件は我が国の証券界が怒りをもって国税庁に抗議すべき大問題なのであります。そして未だ抗議の合唱が起きないところに私は大きな悲しみを抱きました。

そこまでして我が国の証券界はお上の権威に這いつくばるものなのか。未だ回転売買による手数料商売に未練があるのかと。これほど国税庁に個人投資家と証券界はなめきられながら文句の一つ言い返せないのかと。

未来永劫にわたり、鉄火場の切った張ったを煽る若い衆に甘んじたいのかと。

 

我が国の株式市場は個人投資家を称する“投機家”と、政策投資を目的とする法人の株式持ち合いによって支えられてきました(その他に外国人投資家)。株を保有することで企業をコントロールしようとする株主が、戦後日本には約50年間も存在しなかったのです。(註1)

これすべて売買に関し源泉分離課税を認めて脱税資金の参入を黙認し、保有(名義の書き換え)に関しては総合課税(確定申告)で取り締まった税制ダブルスタンダードが原因と断言できます。

 

我が国の大金持ちは脱税節税で資産を残した人が圧倒的とご理解ください。したがって株式投資にいどむスタンスとして名義の書き換えをしないまま「売ったり買ったり」はいくらでも可能でしたが、株式分割を実施するような成長有望銘柄の長期保有はできませんでした。脱税投資家は株式分割の株主割当の時点で当の事業会社から株主移動調書が所轄税務署に送られ、投資資金の出所を追求されてしまうからです。そのうえ1銘柄につき年間受け取り配当金が10万円を超えた時も、事業会社から株主の住む所轄税務署に配当金支払い調書が送られ、資金出所が問われてしまいました。くわえて信用取引口座を利用した配当金受け取りは、「配当金でなく売買益金」という解釈で資産家に信用取引制度の利用をさりげなく勧めました。投資家はおとなしく僅かばかりの配当金を「益金勘定」で受け取り、源泉分離課税を選択できました。この場合、株主は証券金融会社の名義になるので議決権は発生しませんからね。

 

こうした「税制の恐喝」により図らずも個人株主のコーポレート・ガバナンスを排除する仕組が育ったわけです。利益成長よりも売上拡大をめざした法人資本主義が戦後日本経済の成り立ちに与えた影響は計り知れません。

 

戦後の金融税制が歪めた日本経済

資産家は税務署にキャッチされることを怖れて名義の書き替えができなかった。

本当に資産を持つ個人投資家が株主総会で株主への利益還元の要求を出せなかった

法人株主ばかりだから経営陣は株主よりもステークホルダー(関係者)の顔色ばかり伺う

メインバンクからパラシュート降下で進駐してきた経理担当役員が大きな顔をできた

名誉会長、社友、名誉顧問などの肩書で会社に居座り、金を引っ張るために引退しない長老の蔓延

名義書換の必要ない無配ボロ株の仕手戦ばかりが証券マスコミの脚光を浴びた

株式市場に流れにくい資金 ⇒ 郵便局に集まってタヌキやクマの遊歩道を作る原資となった

 

逆に言うと証券会社はこの“国税庁のお触書”で顧客を怖じけさせ、成長株の名義書換と長期保有をあきらめてもらいました。殺し文句は「もうじき決算期ですよ。今のうちに売っておきましょうね」

わずかな値上がり益で仕手株の回転売買にあけくれる売買スタンスが全国津々浦々に定着したわけです。

 

リスクマネーとは元本保証はされないものの有利性を求める資産と定義づけられます。株式市場はリスクマネーの溜まり場ですが、ゼロサムゲームのバクチ場という定義づけは極端すぎます。本来ならばほんの一部なのです。しかしながら我が国の場合、金融税制の影響でバクチ場のイメージが異常に増幅されてしまいました。個人の裁量や意思決定に基づき、さまざまな産業に資金が選別投資される直接金融を、我が国政府は総合課税適用で厳重コントロールしてきました。そのかわり株を売ったり買ったりの“ギャンブル”についてはウルサクいわなかったのです。国家は株式市場がバクチ場に堕落しようとも目をつぶってきました。個人金融資産がひそみ持つ激情的な射幸心を昇華させる必要もあったからでしょう。

 

そのかわりバクチ打ちが鉄火場で損しようと儲けようと結果は自己責任であると。株式投資がネット取引化される以前、我が国個人投資家の売買回転率はニューヨーク市場の2.5倍に達していたほどです。この鉄火場のあり方は多くの臆病な資金を銀行や郵便局に向かわせてしまいます。世の中には証券会社から「売りましょう、買いましょう」とせきたてられることに、恐怖感を抱く臆病な資金がたくさんありますからね。

こうして間接金融になだれ込んだ資金の運用過程で、金融機関や政治家及び官僚が恣意的介入できる余白を与えてくれました(いうまでもなく余白は余禄に転じました)。国債をはじめ、政府債務を700兆円にまで肥大化させた財政投融資や特殊法人設立の原資こそ、国民の臆病な資金だったのです。

 

我が国に直接金融方式が育たなかった原因は経済学者の机上論や日本的特殊要因だけではありません。売買益には源泉分離課税、株の配当金は10万円以上は総合申告という税制ガイダンスが大きな原因となっていたことをご理解ください。

 

そして今回の国税庁の回答は過去の行政が及ぼした影響を全てすっ呆けるものなのです。国税庁の村上善堂次長の発言は全国民に対する裏切りです。

株式を誰が保有しているか分かればよく、報告書の記載には関与しない」

 

ソープランドで売春が行われていようと、業者から税金さえ取り立てれば売春防止法なんか知ったこっちゃないと。ピンサロの売り物が御法度の本番であろうと、成人専用の“飲食店”には違いなかろうと。

 

ついでながら、そもそも日本テレビの粉飾決算は今回で2度目なのです。古く35年前の1969年に粉飾決算で上場廃止を問われる場面が一度ありました。日本テレビは俗にいう前科もん、つまり「まえのある身柄」なのであります。1969年10月12日の日経朝刊でスクープされて大騒ぎとなりましたが、当時の東証も国税庁も大蔵省も事を荒立てずウヤムヤに処理した経緯があったといわれます。

 

産経新聞の1969年10月13日付夕刊には、東京証券取引所証券部長、菊池八郎の、つぎのような談話がのっていた。「同社は自己資本が67億円ぐらいある。11億円ぐらいの粉飾を出すくらいなら、なぜ自己資本で消さなかったのか理解に苦しむ。内容の悪い会社ではないので、上場廃止などということはできないと思う」(註2)

 

現東証理次長の鶴島琢夫氏が若い時に兜町の蕎麦屋「満留賀」の二階で、ざるきしめんを食べていたころの話です。

 

このまま前科もんの日本テレビを又もや見逃し、渡辺恒雄氏(名義貸し当人)の「250億円の借名仮名口座」が何のお咎めも無しだったら、我が国の財務当局は Out Low’s 国家を宣誓しているようなものでしょう。

 

 

(註1)

「わが国機関投資家のコーポレート・ガバナンスに関するアンケート調査」第一章より集計結果と分析の報告(2001.7.6)財務省 財務総合政策研究所

 

「……生命保険会社は、持株比率の面では、戦後一貫してある程度の高い比率を有している。しかし、生命保険会社は、多数ある保険契約毎の資産運用を行っておらず、また、企業保険の販売と引き替えに取引先企業の経営権安定化のための安定株式保有工作を担っている側面もあり、欧米に見られる語義どおりの機関投資家からはかなり逸脱している」

 

(註2)

電網木村書店 Web無料公開『読売新聞・歴史検証』

http://www.jca.apc.org/~altmedka/yom-13-2.html

 

< テレビ資料集 > 放送お騒が史1960〜1969

http://www.aa.alpha-net.ne.jp/mamos/data/oswgs60.html

 

大蔵省が、日本テレビの総額11億円の粉飾決算を指摘。10月14日、郵政大臣河本敏夫は「公共性の強い電波事業を運営するものとして遺憾」と発言。

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